東京オリンピック・男子バスケットボール代表の比江島慎(ひえじま まこと)選手。
気迫あるプレーで日本を引っ張る姿がとてもかっこいいですよね!
そんな比江島選手を彼を支えてきた家族たちはどんな方なのでしょうか?
比江島慎選手の家族やエピソードなどをまとめました。
比江島慎の家族構成!父親と母親は離婚?
比江島慎選手の家族構成は、
◆母親:淳子さん(逝去)
◆兄:章さん
◆比江島選手本人
の3人家族とのことです。
(▼写真左が兄・章さん、右が母・淳子さん)
出典:西日本スポーツ
父親に関する情報は全くないんですよね。
インタビューで本人が「うちは母子家庭だった」と話されていたり、ニュース記事で「物心ついたときから母子3人家族」と書かれたものならありました。
おそらく比江島選手が幼少期の頃にご両親は離婚されてしまった可能性が高そうですね。
母親:淳子さんは気配り上手、死因は突然死
母親の淳子さんはとても明るく元気で、アグレッシブな方だったそう。
母子家庭で子供二人を養うため清掃業を営み働きづめ。
比江島慎選手が大学を卒業する頃には比江島選手のマネジメント会社を設立。
近年は、比江島選手の契約交渉やスケジュール調整、グッズ販売などをしていました。
とても周囲への気配りができる女性だったといいます。
「とにかく何でも人のためにやっていました。
人のためならもう、自分を削ってでも……」
出典:sports navi
そんな無理がたたってしまったのか、母・淳子さんは2018年4月21日、57歳の若さで急逝されてしまいました。
どこか痛かったり風邪をひいたりしても我慢して自分を後回しにしてしまうところがあったという淳子さん。
持病などはなく、本当に突然の死だったそう。
そんな母・淳子さんが常々言っていた
「世界のために、子供たちのために、誰かのために」
という言葉は、今でも比江島選手の教訓だそうです。
淳子さんはバスケの強い学校への進学をサポートしたり、大きな大会は必ず見に来てくれたりと、比江島慎選手の活動をさまざまな面で支えていました。
とても頼りになるお母さんだったのでしょう。
比江島選手がインタビューで母親のことを「めっちゃ尊敬してました」と話されていたのも納得です!
兄:章さんとは疎遠時代も!?
比江島選手より先にバスケを始めていたという3歳上の兄・章さん。
兄もバスケが上手で、比江島選手にとっては憧れだったといい、小学生時代はしょっちゅう一緒にバスケをしていたそうです。
そんな兄弟ですが、比江島慎選手は中学~高校生の頃、兄との距離を感じていた時期も。
お互いバスケをやっている中で、こういったことがあったそうです。
・兄はケガが多かった
・バスケで学区外の中学校へ行きたいという弟のために家族で引っ越した
・比江島選手が中学生の頃、兄は弟に身長を抜かれた
兄弟だとモヤモヤしてしまいそうですよね。
それもあってか比江島慎選手が中学・高校の頃の試合は一回も見に来てくれなかったそうです。
が、実は誤解だったとのこと。
兄・章さんは時々試合を見に行っていたものの、試合が終わるとすぐ会場を離れてしまっていただけだったそうです。
章さんにモヤモヤな時期があったのは確かなようですが、
「自分が高校生になっていたときはもう、慎を応援する気持ちになっていた」
とインタビューで話されています。
そんな兄・章さんは母親の逝去後会社を辞めて、母親がしていた比江島慎選手のマネジメント業務を引き継ぐことに。
比江島慎選手が希望していたオーストラリアへの海外移籍を2018年夏、ついに実現させました。
オーストラリアリーグ(NBL)のブリスベン・ブレッツにいたころの写真がこちら。(2019年1月に現地チームは退団)
とても強い絆を感じられる兄弟や家族ですね!
比江島慎選手のオリンピックでの活躍を応援したいと思います!